今後やりたい事
ボルダリング コミック岳で主役の島崎三歩がボルダリングジムでアルバイトをしていたのですが、それを見て「これやりたいな」と思ってはや10年以上、今やオリンピック種目になってしまい、今更とも思いますが、ぜひやってみたいです。
ウクレレ ピアノ、ギター、サックスと挫折してしまい楽器の演奏能力はないのですが、挑戦してみたいです。
学生時代
小学校の頃は漫画が好きで、漫画家になりたかったです。
中学、高校と進み漠然と法律にかかわる仕事をして、人助けが出来ればと思っていました。
大学は法学部に進んだものの、ワンダーフォーゲル部という山歩きの運動部に入ったため、山行の費用と仲間と毎晩飲む酒代稼ぎのためのアルバイトに明け暮れ、法律関係の仕事のことや人助けの事は忘れていきました。
当然勉強はさぼり気味になり、挫折して会社勤めに。
会社員時代
学生時代は柔道やワンダーフォーゲルなどをやり、体力には自信がありましたが、勤めるようになって運動不足もあり、腰に負担のかかる荷物の上げ下ろしの疲労も重なりギックリ腰になりました。
それから常に腰が重い状態が続き、少し疲れがたまると動けなくなりました。
それでも自己流で何とかやり過ごしていましたが、結婚し子供が生まれ、抱っこをして出かけた時、あまりの腰の痛さに脂汗が出てきました。
自分の子供も抱っこ出来ない事態に「このままではまずい!!」本気で治療する決心をして、針やマッサージなどを受けました。
ですがその場では楽になっても、また元に戻るの繰り返しでした。
そんななか、仕事で知り合った方から整体院を紹介され通い始めました。
それまで整体を知りませんでしたが、通っていくうちに症状が改善していくのを感じました。
人のからだを道具を使わずに、手で治せることに感動しました。
「こんなふうに人のためになる仕事はいいなー」という思いが、学生時代についえた「人助け」と結びつきました。
それからは整体の事が頭から離れなくなり、今のとりあえず安定した仕事と、自分に出来るかどうか分からない整体の仕事を天秤にかけ、迷った末に決心をして働きながら整体の学校へ。
整体院開業
2000年に竹の塚に開業して22年目。
自身が腰痛で苦しんだこともあり、腰や脚のお悩みを中心に施術をしてきました。
良さそうな施術方法があると、DVDを購入したり、セミナーに行ったりと技術の研鑽に努め延べ2万人を越える方々の施術をして参りました。
今心に決めた事
今でも6年前に亡くなった母について後悔していることがあります。
亡くなるひと月前、ちょうど梅雨入りの頃、父からの電話で「今通っている病院から、このままではもって年内だから入院するように言われたよ。」びっくりしました。
その年の正月に帰省した際、母がほとんど食事をしないで困っているとは聞いていました。
しかしそこまで悪いとは思っていませんでした。
母が入院を嫌がっているので、「お前来て説得してくれ」という話でした。
母は家の中で家事を一手に引き受けてやっていましたが、食事もろくにしないため、足元はふらつき危なっかしいばかり。病院以外はほとんど外出をしない状態のため体力は目に見えて落ちていました。
私が車で迎えに行くと、母も観念したのか渋々車に乗りました。その時ものすごく悲しい顔をしていました。その日から身体にチュウブが入れられ、体力・免疫力がないせいか菌が繁殖し、腹水が溜まり、意識もなくなりました。
病院を転院し、結局ひと月後に多臓器不全で亡くなりました。
もちろん未だに、何で無理やり入院させたんだろうと、後悔ばかりですが、本当はもっと早い段階で母のからだの状態に気づくべきでした。
母の間違った生活習慣を変えられなかった。いや、どんな生活習慣かも知らなかった。
心残りばかりです。
今、助けを求めていらっしゃる患者さんに「入院しますか?」「生活習慣を変えますか?」と二者択一を迫るわけではありませんが、腰痛にしても膝痛にしても、現代の病気の多くは生活習慣病。ということは、ご自身では気づいておられない間違った生活習慣が原因で、今の状況が生じていると気づいてほしい。
あの母と同じような悲しい顔をしてほしくないから。
もうあの様な悲しい顔は見たくないから。
心からの笑顔になってほしいから。
花が咲いたような笑顔をみたいから。
間違った生活習慣を変えて頂き、最後はお互いに喜び合いたい、一緒に笑顔になりたいのです。
今思えば大学時代ワンダーフォーゲル部で山歩きをしていた時、先輩に言われた一言「萩原の歩き方変だな!」その時は気にも留めていませんでしたが、その歩き方こそが後の腰痛の原因になったと今ならわかります。
そんな私も今では正しい歩き方を身につけました。
生活習慣を変えないと本当の意味で根本改善には行きつかない、正しい立ち方、歩き方を身につけないといつまでも痛みを繰り返す。
皆さんの笑顔を手に入れるため、そのことを多くの方に伝えていくのが私の役割だと、心に決めました。